散歩に行きたかったが……。 |
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結局、本日も雑務に追われて、散歩に出ることが叶わなかった。
だが、まあ今日のところは許す。
散歩はその非日常性を楽しむものであるからして、
それが日常のものに転じたとき、散歩はくだらない”日課”に堕落する。
散歩は”冒険”と近似していて欲しい。
だから冒険に出られなかったと思えば、まあ仕方ないのだ。
ああでも明日はきっと散歩する。
結局、”いつもの”道でもいい。
いつもがいつものままであるなんて、通学/勤路くらいだ。
Re: みなさんの
やっぱり。 |
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返信ってのは少ないね。
ざっと見た感じだと、多くて1~2。
そりゃそうだろって思う。
返信はあくまでコミュニケーションだから、
知った者同士がやらないと、意味がない。
例えば便所の落書きに、
「俺たちは糞じゃない」って書いてあって、
それにはっとした気分になって、
誰が書いたんだろうと思いながら、
なんだか勇気づけられた気分になって、
その後の行動に力がわいてきたとしても、
結局それは無記名な浮遊物で、
それにわざわざ「↑ ありがとう。俺頑張る」なんて、
丁寧にレスポンスなんてつけなくて、
でもたまに、ほんとうにごく稀に、
そんなレスポンスがついていると、
とても素敵だなって思うのです。
無記名のほうが。 |
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無記名だと人間の本心が表現できるものだね。
特にクレバーな人ほど、自分の顔を出してまで”思ってること”なんて表現しない。
たとえばmixiなんかに、徒然思った人生のTipsをかくだろうか。
僕は書かない。
上記の4行だって書けない。
それは、なんだか自分の思想の深淵をのぞかれるようで恥ずかしいからだ。
そして、もっと深いこと考えてるのに、”そんなことしか”って思われるのも厭なのだ。
本当に心の通じた人に読んでもらえるなら別かもしれないけれど。
ブログでも、「特定されない」前提でかくならば、素晴らしいブログは多くあるんじゃあないか。
「特定されて」なおかつ「素晴らしいブログ」であるには、クレバーで、独善的な自信が必要だ。
もしかしたら、この無記名ブログ群には恐ろしいほどの人間の深淵が渦巻くかもしれない。
表現することによって初めて、自分ですら初めての深淵に出会えるかもしれないからだ。